・こちらの商品はアイテムの特性故、ネット販売及び、通販の予定はございません。ご購入希望のお客様は事前にご連絡の上、ご来店、ご商談が可能な方と限らせて頂きます。 何卒、ご容赦のほどご理解賜りたくお願い申し上げます。
・コントラクトナンバー “ W33-038 A.C.1755 (11631) ”、コントラクター(マニュファクチャー)は実名復刻でも人気のある、あの “ J.A.DUBOW ”。第二次世界大戦末期に程なく近い、1943年12月頃〜1944年頃まで生産、支給されたと推測される名品 《 A-2フライトJK 》 オリジナルをご紹介。
・今からおおよそ、80年近くも昔の個体につき、年代相応の経年感や使用感はあるものの、致命傷となる硬化や劣化、激しいダメージ等のない実着用が可能な素晴しい保存状態の 《 A-2フライトJK 》 となっております。
・フロント左胸には、《 5th AIR FORCE (第5空軍) 》 スコードロンパッチが燦然と。他をも平伏すその迫力満点の佇まいは、まさに歴史を纏った 【 本物の証 】。
※当時のパッチには、ローカルメイド(現地制作)も多く混在する為、ご覧のように比較的綺麗な仕上げのパッチが付属する点も見逃せません。
・第二次世界大戦末期頃の1943年12月頃〜支給された個体につき、当時、太平洋上空で繰り広げられたであろう、激しい空中戦の痕跡や、激戦の跡、また、それに伴ったパイロット自身の戦勝記録的な意味合いの強いハンドペイントをはじめ、第五空軍参戦パイロットのプライドやメモリーを随所で垣間見ることも出来ます。更に何と、緊急時のホイッスルまで未だ、そのままの状態で付属。
・ペイント上段に施された、斜めに傾いた4隻の白い日の丸の船(戦艦) → 4隻の戦艦を沈没させた意。中段右側に施されているのは、白い日の丸の鉄道(蒸気機関車) → 1つの鉄道若しくは列車を破壊した意。同様に、左側の大きな落下傘型の日の丸の白い爆弾は、第二次世界大戦末期頃に、鹿児島をはじめとする熊本や、南九州地方で多数投下された事が記録として残る 《 M-76 》 大型焼夷弾と推測 → 2個の大型焼夷弾投下の意。また、下段の小さなミサイル爆弾のような8つのペイントは、概ね出撃回数と推測 → 当該JKを着用したパイロットが8回出撃した事を意。故に、これらの記録やフロントのハンドペイント、また1941年〜 運用開始となった 《 B-25爆撃機 》 のバックペイント等、当該コントラクトナンバーが付属するこのJKの供給年と、それらがほぼ合致することでも証明できます。よって、これらが終戦後に曖昧に後描きされたものでない事も併せて合致することにもなります。
・更に擦れていて識別が難しいものの、上記の右胸に施された戦勝記録のハンドペイントの下に薄っすらと確認する事が出来る、赤のペイントによる 《 V 》 と 《 1945 》 のハンドペイントも。多くの皆様方がお察しの通り、ここでいう 《 V 》 とは “ VICTORY=勝利 ” の意、また 《 1945 》 とは 終戦年を意することも簡単容易に推測出来ます。
・バックペイントは1941年からUSAAFで運用が開始された、《 名機 B-25爆撃機 》 のペイントも。通称、“ ミッチェル ”の勇姿が燦然と。
・年齢と共にどんどん妥協ができなくなっている世代の皆様、現行の製品や新品の製品では、決して味わう事のできない雰囲気が魅力の一着です。長く付き合える一生モノをお探しのお客様の皆様方、貴方様の重要なコレクションに加えて頂ければ幸いです。